2003年9月号の「ソトコト」の巻頭インタビューにボロット・バイルシェフが登場しました。

インタビューアーは、大橋マキさん。

内容は、追ってこちらでも紹介します。

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ソトコト編集部と大橋マキさんのご好意により

インタビューを転載させていただきました。

月刊エコマガジン「ソトコト」2003年9月号 
アルタイ「カイ」歌手 ボロット・バイルシェフ

(Bolot Bairyshev)


「アジアの真珠」と賞される中央アジア伝説の地「アルタイ」で、数千年も歌い継がれてきた「カイ(英雄叙事詩)」。人々はカイを歌って太古の暮らしに思いを馳せ、今も宇宙と共に生きている。
カイとは、アルタイ民族の生きるための智慧であり、生き方そのものである。
構成・文●大橋マキ 写真●巻上文子、ソトコト編集部 

カイはアルタイの自然に捧げられた歌。民族を守った英雄の歌でもあり、民族の智恵や美意識、
哲学を学ぶための歌でもある。心や体を病む人を治癒する力もあるという。
その歌い手は、いつも宇宙とつながっている――
  2003年6月、東京。
  日本で喉歌の先駆者としても知られる、ボイスパフォーマーの巻上公一氏とアルタイのカイ(英雄叙事詩)歌手、ボロット・バイルシェフ氏とのコラボレートコンサートが行われた。
  数千年の時を超えて響く「カイ」が、満員のホールを太古へと誘う。「ヴィー」とも「ヴゥー」ともつかない地鳴りのような野太い唸り。義太夫が息を詰めて唸るのを、さらに押し殺したような、とてつもない低音。同時に、微かな高音が、空耳のごとく聴こえてくる。音というより虫の羽音のような振動が、低音と共鳴しながら身体の中心に響くのだが、主旋律も核音も捉えられない。フワフワと音の響きのあいだを浮遊するうち、螺旋状に宇宙(そら)へと放たれるような夢心地。初めて耳にする超人的なカイの音色に驚いたが、不思議なほど違和感なく身体に馴染んで、なんとも心地よかった。1500人が耳を澄まし、静寂のなかに流れる響きに身を浸していた。
            
喉には仏様がいる
カイとは、中国・カザフスタン・モンゴルに隣接するアルタイ共和国で、シャーマンや歌い手によって数千年ものあいだ歌い継がれてきた歌唱法のこと。西モンゴルのホーミーやトゥバ共和国のホーメイにも通じる独特の発声で、ハードな低音と、絞りだすような高音を交互に使う、まさしく超人的な歌唱法である。
 「歌うことは探索」というボロット氏と巻上氏には、即興(Improvisation)こそ真骨頂である。巻上氏は言う。「喉にはね、仏さまがいてね、極楽も地獄も同時にあるんですよ。それが真の強さであり、ひょっとすると、そこに人間の真実があるかもしれない。カイにも善と悪が歌われるでしょう?そこに本当の強さがある」。
カイの響きの中に、渾然一体となった善と悪、美と醜、極楽と地獄を見る。真実を見つめることで、人間としてあるべき姿が浮かび上がってくる。

               
真実を探すためのImprovisation(即興)
すでにポップス歌手として成功していたボロット氏が、カイ歌手に転身。シャーマンによって歌い継がれてきたカイが、ボロット・バイルシェフという素晴らしい歌い手を得て現代に蘇った。ボロット氏は自分をシャーマンだとは思わない。ただ、カイを歌うことでアルタイの地を身に纏い、先人の暮らしぶりを体感する大切さを説く。それは、人間としてより善く生きるための「探索」でもある。


ボロット ポップスにも夢中になり、年齢を問わず人気を得ましたが、カイはアルタイという「自分のシャツ」を着るような感覚で、自分を温めてくれるのです。歌っていて気持ちが満たされます。コンサートのたびに、人間として自分に与えられたものをすべて活かしたいと思っているので、さまざまな歌い方を探したい。
 私の師匠の言葉ですが、「人間は3つの持つべきものがある。趣味、嗅覚そして、ファンタジーだ。ただ、残念ながら3つ目のファンタジーは必ずしもみんなが持っていない」と言われました。私はファンタジーにも恵まれました。この3つの感覚を正確に理解して使うのは、人間として真実の姿を探すImprovisation(即興)と同じこと。とても難しいのです。
英雄叙事詩というのは私たちにとって何よりも大切で、例えば、まだディノザウルスが生きていた頃、生活がこんなだったろう・・・・・と想いを馳せることができる。それを後世に伝えていくことが大切だと思います。

99個あるボタンをどんなふうに留めたか
カイで唄われるのは「英雄叙事詩」、民族を守る戦いである。ファンタジックな冒険物語を縦糸に、善と悪の対峙が横糸で紡がれる。自然と共生した当時の暮らしが事細かに語りこまれ、膨大な詩を時には七日七晩かけて歌いあげる。歌う行為を通して、太古の勇士たちと語らい、アルタイの智慧や美意識や哲学を学んでいく。
ボロット 叙事詩には5000以上の単語があります。アレクセイ・カルキンという語り部は、全部の詩を覚えているわけではなく、重要な部分だけを覚えていて、歌っているうちにトランス状態に入り、叙事詩の勇士たちと交流します。とてもユニークな現象だと思うのですが、そういう人たちもいるのです。カイはアルタイの誇れる「現象」だと思います。なぜ、英雄叙事詩が5000語以上もあるかというと、ディテールにとてもこだわって語るからです。どんなふうに武装したか、99個あるボタンを1つずつどんな風に留めたか、轡(くつわ)をはめて鞍を置いて、馬をどのように扱ったか、鎧をどのように取り付けたかなど。細かな描写が、アルタイ英雄叙事詩の大きな特徴です。
 英雄叙事詩は、善と悪がいつも対峙する戦いの物語です。例えば、代表的なものとして、「マデカラ」という叙事詩があります。マデカラとは勇者の名前。ある日、マデカラは地面まで届くほどの自分の髪を切り、妻子に手渡す。「また同じ長さになる頃までには戻る」と告げて狩りに出る。
 しかしマデカラが戻ると、悪い霊によって、アルタイの命あるものすべてが、あの世に連れ去られた後だった。マデカラは、民族を取り戻すべく、時には星に姿を変え、馬を蛇に変え、炎の中でも燃えない鎧を身に着け、数々の障害を切り抜けるのです。ついにアルタイ民族を取り戻すと、人々は民族復活を喜び、盛大な宴が7年、9年と続きます。英雄叙事詩は、愛や喜びがテーマで、その多くがハッピーエンディングです。
          
「カイ」は自然に捧げられたもの、アルタイの音の薬。
シャーマニズム発祥の地ともいわれるアルタイでは、自然の中に霊性を認め、命あるもの全てに等しく敬意を払う。共存する40以上の民族が、それぞれに木や山や動物の守護神を持ち、人間は自然によって生かされているという謙虚さが根本にある。
アルタイの自然に捧げられたカイは、自然と人間とが響きあうためのテラピーとも言える。
ボロット カイの歌い手は、人を治療する人、治療師です。
 歌っているとき、宇宙との繋がりをいつも持っている。それを持って生まれ、完全に自分のものにしていた人物が、アレクセイ・カルキンです。最近では、アルジャン・クズリコフという若手の歌手も注目されています。彼も同様の才能を持っている。アルタイ中から、精神を病んだ人だけでなく内臓系の疾患まであらゆる病人が、彼のもとに集まってきます。  
 彼はアルチュッシュという神聖な草(シベリアビャクシンの一種で、シャーマンはだいたいこの木を使う。この香りを嗅ぐだけで病気が治ってしまいそうな良い香りがするという。まさにアルタイのアロマ)で病人の身を清め、カイを歌い、治療します。アルタイではカイはサイコテラピーのようなものです。
 カイはそもそもアルタイの自然に捧げられた歌です。自然はアルタイの人々にとって最も大切なものであり、人間はその一部なのです。アルタイの人々、例えば、何ヶ月も山で放牧をしている牛追いや羊飼いは、たとえ具合が悪くなっても、家畜を放りだして、自分だけ病院に行くことはありえません。神聖な草を使ったり、アルジャンスー(清めの泉)や清めの川で「治してください」と祈って治す。
 大学をでると、多くがアルタイを離れロシアなどに出稼ぎに行きますが、帰郷すると涙を流しながら懇願します。「自分が死んだときは、世界のどこにいてもアルタイの地に葬って欲しい」と。皆、アルタイを愛しているのです。

アルタイの人々にとっての癒しの源泉、それは愛すべき「アルタイ」の地にほかならない。               
 いつの時代も、カイに響く美しい宇宙の共鳴は、アルタイの人々に生きる術を諭すのだろう。ファンタジックな歌声に、彼らのイマジネーションは伸びやかに広がり、太古を生きた英雄のごとく雄大に繊細に、自然の一部として生きる叡智を体感するのだろう。