ボロットをめぐる言葉

目次

他者と時間を分かちあうこと……ボロットさんの魅力――田口ランディ

いろいろな音楽に繋がる、音のエッセンスの宝庫 ピーター・バラカン

音程という概念を破壊した、未知なる音楽 星川京児

アルタイの吸引力、ボロットの発信力 直川礼緒

その声と歌は宇宙を震撼させる。巻上公一

アルタイのこと……撮れなかった風景と懐かしい光景 川内倫子

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ボロットさんの歌を「体験」せずに死んでいくのはもったいない。AKIRA

束の間の宇宙に引きずり込んでしまう魔法    素樹文生

他者と時間を分かちあうこと……ボロットさんの魅力
――田口ランディ


初めて巻上さんにお会いした時、巻上さんは「夏にアルタイに行く」と言う。「アルタイってどこですか?」「シベリアのアルタイ共和国だよ。アルタイはいいよ〜。日本人のルーツとも言われている国だよ」
「アルタイ」そのエキゾチックな言葉の響きに、まず魅かれたのだ。どんなところだろう「アルタイ」って。
その年の冬に、巻上さんがアルタイから歌手を呼んでコンサートを企画したと知らせがあった。「とにかくすごいから、ぜひ聴きに来てよ」そう言われて、東中野の小さな劇場に出向いた。正直なところあまり期待はしていなかった。民族音楽って珍しいけど退屈なのが多いから。
小さな劇場の小さな舞台の上に登場したのが、アルタイの民族衣装を着たボロットだった。革のブーツとマントが、すごくかっこよかった。見た目は日本人そっくり。そう、日本人そっくりというか、日本人より日本人らしい……というか。
どう言ったらいいのかな。時々、背筋のシャンとした、お尻のぷりっと上がった、めっちゃかっこいいおじいさんがいるでしょ。昔、大工の棟梁だったとか、熊撃ち名人だったとか、そういうおじいさん。
立ち振る舞いのなかに、品性と父性と抑制された野性と理性が全部入ってるような感じの男の人。ボロットはそういう感じの男性だった。年は私より若いのに、成熟した男の野性と品性があった。それでいて、笑顔が人懐こくて、体の力が抜けていて、チャーミングなのだった。
その日、アルタイから着いたばかりのボロットはまだアルタイの空気感を身に纏っていて、演奏が始まるや、私は不思議な体験をした。ボロットの背後に景色が見えてくる。大地と山と風だ。時空を超えて、歌声が太古のアルタイに私を飛ばしてしまう。
いやはや、その声ときたら、私がこの世に生まれてから聞いた最も低い声だった。人間の声とは思えない。いったいどういう咽だとあの低音が唸りだせるのか……。
聴いているとまるでサウンドエナジー。意識がぼおっとしてくる。体が熱くなる。声ってすごいエネルギーだったんだ。あまりにも感動してしまって、私はアルタイに行きたくなった。それで、巻上さんに「私も来年、アルタイに連れてってよ〜!」と頼み込んだのだった。願えば叶うもので、巻上さんは約束通り、私をアルタイに連れて行ってくれた。
いっしょに行ったのは、写真家の川内倫子ちゃん、編集者の丹治史彦さん、通訳の上田洋子さんだ。
しかし……、アルタイは遠かった。モスクワからさらにノボシビルスクへ。ノボシビルスクから車で八時間かけてアルタイ共和国へ。
車で八時間のこの道のりを、ボロットとアルジャンは車で迎えに来てくれたのだった。往復十六時間である。
私はアルタイでの短い滞在のなかで、もちろんアルタイ人の哲学、シャーマン発祥の地であるアルタイの自然観、そしてとてつもなく雄大な大地、そういうものに感銘を受けた。
でも、最も感銘を受けたのは、ボロットとアルジャンの人間性だった。
私は最初、アルジャンはボロットに雇われた運転手だと信じ込んでいた。だって、アルジャンは私たちがアルタイに滞在中、およそ十日間ずっと、私たちを乗せて一日十二時間以上車を運転してくれて、いっしょに泊まり、しかも自分だけ安い部屋に泊まり、なにかと親身に世話を焼いてくれたのである。
私たちがアルタイのコンサートに行っている間は、車で待機していてくれた。つまり十日間、二十四時間、日本から来た私たちのために時間を使ってくれたのである。
ところが、よくよく話を聞いてみると、アルジャンは子供たちにレスリングを教えているコーチで、ボロットの友人だと言う。
「ボロットから日本の友人が来るので手伝ってと頼まれたんだ。それだけだよ」
お礼も受け取らない。それどころか、「これ食べる?」「これおいしいよ」と、どかどか奢ってくれる。
アルジャンは、とても無口で落ち着いた男だった。彼もまた、男の品性と父性と抑制された野性と適切な理性、そしてユーモアをもっていた。とにかく安定していた。物事に動じない。いつも静かな動物のように世界をじっと観察していた。
そして、短い受け答えのなかにユーモアがあった。優しかった。絶対に押し付けをしなかった。節度ある自己主張をした。そして強かった。
彼らは「他者と時間をわかちあう」ことを知っていた。「忙しい」ということを一切、口にしない。共にその場にいることを心から楽しんでいた。
私はアルタイに行って、自分がモンゴロイドで本当に良かったと心から思った。
ロシア人とアルタイ人を比べた時、圧倒的にアルタイ人が素敵だったからだ。彼らにはモンゴロイドの美があった。私の日本的感受性は彼らの美に感応した。モンゴロイドがもっている知性と野性と落ちつきが、私を圧倒したのだ。
黄色人種に生まれたことをうれしく思ったのは、生まれて初めてだった。
彼らと私の違いは何かな、と、日本に帰って来てから考えた。たぶん、彼らには「純粋な贈り物」としての行為が機能しているのだ。
日本人の私にとって「親切」はすでに重い。親切にされると家に戻ってから地元の名物を「お返し」に送ったりする。親切にされることがうっとうしくて、ホテルに泊まった方が気が楽だと思ったりする。
お金で交換できれば気が楽なのだ。相手の情に応えなくてすむから。そういう発想がもう体に染みついているのだ。
だけど、彼らは違った。もちろんお金も使うけれどそれは便宜的であり、本当に大切なものに関して「交換」をしようとしないのだ。ただ、与えてくれるだけ。無尽蔵に与えてくれるだけであり、それはまるで、目に見えないエネルギーのようだった。
私たちはアルタイに行って、変わらざるをえなかった。自分たちが「交換する」という行為に侵されているのを知ってしまった。貨幣経済やグローバリズムにうんざりしながら、実は自分もその中毒になっていることに気がついてしまったから。
だから、どうしようと、いうことではないのだけれど、気がついてしまった。それはせつないことだった。
日本に帰って来てから、私たちは「ボロットの歌を友達に聞かせたい」と思った。だけど、アルタイはあまりにも遠い。だから、ボロットを再び日本に呼ぶことに決めた。みんなに新しい友人を紹介したい、そんな気持ち。
アルタイ旅行に参加した全員で、協力してボロットさんのコンサートを企画した。巻上さん、私、丹治君、倫子ちゃん。それぞれ役割を分担して、昨年の終わりから準備を始め、ついに二〇〇三年六月六日にボロットは日本にやって来る。
アルタイは遠いけれど、とても日本と近い国だ。
かつて国家というものがなくても民族は存在できた。そのことをアルタイ人はまだ覚えている。そして「英雄叙事詩」として語り継いでいる。叙事詩の内容は「戦い」だ。でも、今のような国家の国益と権力の戦争とは違う。どこかが違う。美しき女王「オーチ・バラ」が魑魅魍魎と戦って民族を救う物語。
人が人として生きるために戦う時、その物語は語り継がれるのだろう。
(たぐち・らんでぃ 作家。『旅人の心得』(角川書店)所収「アルタイのギフト」より)

いろいろな音楽に繋がる、音のエッセンスの宝庫
ピーター・バラカン
 
 ボロット・バイルシェフのCDを聴いて、何よりもまず、音にバラエティがあるところに関心を持ちました。弦楽器トップショールの伴奏、笛の伴奏、口琴の伴奏もあり、アカペラで歌う曲もあるから、聴いていてまったく飽きません。独特の発声も、はじめて出会った時は誰でもびっくりすると思いますが、僕はモンゴルのホーミーも含めたいわゆる倍音の発声法には、以前からどことなく親しんでいた気がします。中学生のころからたくさん聴いていたブルーズでは、低くて唸るよな発声法をわりとよく使います。ハウリン・ウルフやキャプテン・ビーフハート、タージ・マハールの歌い方。歌い方というより発声法ですね。タージ・マハールは、自分の歌い方は西アフリカのセネガルとかマリの伝統的なものに影響されたと言ってました。ホーミーを聴いたのはもっとあとで、最初はあまり共通点を感じなかったんですが、ポール・ペナというアメリカの目の見えないブルーズマンがトゥバに旅する『ジンギス・ブルース』というドキュメンタリー映画を見たときに、僕のなかでブルーズと倍音のふたつの世界が繋がったんです。
 ボロットは笛を吹きながら歌ったりもします。ローランド・カークもサックスを同時に二本吹いて見せ物的なイメージがあるんだけど、実はフルートがとても上手いんです。彼はフルートを粗い息づかいで吹きながら一緒に唸るような声を出す。ボロットも同じような音を出しますね。また、アカペラの高音を聴いていると、中世ヨーロッパのチャントのメロディに近い部分があるんです。だから彼の音楽を聴いていると、特異なスタイルではあるけれども、すごくいろいろなところに繋がるんですね。
「カイ」の音楽文化が歴史的にどのように発生したのか、はっきりはわかりませんが、昔から世界中で儀式や、病気の治療に音楽が使われたりしてきましたね。音楽には何かを浄化する力が必ずあると思います。「ヒーリング・ミュージック」はマーケティング的なジャンルではなくて、本来すべての音楽がヒーリング・ミュージックであると思いますが、この「カイ」を聴いていると、すごく気持ちがいい。倍音にはそういう潜在的な効果があるのかもしれませんね。普段意識して操れない倍音は、だから逆に潜在意識に対して働きかけているのかもしれない。これは理論や計算ではなく、人間の生活の知恵みたいなものだと思う。ただおもしろがって奇妙な音を出しているのではなく、こういう音を出すことで何かに効果があることを経験的に知っているんでしょう。チベットの声明も、同じではないけれど近いものがありますよね。「あの唱え方をしていると重いものが動かせる」という話を聞いたことがありますが、そういう力が「カイ」にもありそうですね。とにかく聴いていて、特異=奇妙ではあるけれども、決して違和感はない。「奇妙」とは要するに慣れていない、というだけのことですから。音そのものに違和感があったり、嫌な気持ちにさせたりとかは一切無くて、逆にすごく馴染みやすい。奇をてらっているんじゃなくて、すごく自然体ですね。ワールドミュージックはどこの国の音楽を聴いても、みんな自分たちの音楽にプライドを持っていて、堂々としていますよね。第二次世界大戦に負けて国が自分たちの文化を捨てたような状態になった現代の日本では、伝統文化は保存されてはいるけれど、活きていない。ボロット・バイルシェフの音楽に直感的に魅力を感じた人は、その文化への誇りに気がついた人なのではないでしょうか?(談)
 (Peter Barakan ブロードキャスター)


音程という概念を破壊した、未知なる音楽
星川京児
 

 ボロット・バイルシェフの音楽の一番おもしろいポイントは、いわゆる音程という概念を破壊したことです。彼の声はピアノの鍵盤で言うと「E」だとか「Eフラット」であるとは特定できない。たくさんの音、倍音が同時になっているけれど、核に鳴る音がなく、すべての音が均質に響いています。僕は中心の音程がとれない声というものをはじめて聴きました。アルタイの喉歌「カイ」は、チベットの声明をはじめとして人間の極限のような声をずいぶん聴いてきた自分にとっても、非常に不思議な音でした。しかし、音程の概念を破壊することで音楽でなくなるかというと、そんなことはまったくない。そこにあるのは、まぎれもない音楽です。ウラルアルタイから、ツンドラ、タイガにいたる少数民族の音楽観は、世界中のサウンドサーチャーたちにとってまだまだ未知の領域であり、非常に衝撃的です。たとえばウデヘの人たちの音楽に「森の模倣」という曲があります。「カッコー」「ホーッホー」と鳥の鳴く声、虫の音など森の中の音を3人で再現している。ここには見事にハーモニーがない、リズムがない、メロディがない。つまり音楽を構成する三要素といわれるものがない。しかしそこから出てきているものはやはり音楽でしかない。ボロットの声はその延長にあると思います。これを音楽と受け取れるのは、日本人が花鳥風月を愛でる感覚があるのと同じように、自然の音を音楽として楽しんでしまえる感性を持っているからかもしれません。
 音楽の三要素を破壊した先にあるボロットの音楽は、人間にとって音楽とは何かという再認識を迫ります。普通、人がしゃべっている話し声にも音程はあるのに、彼のカイはそういう概念を逸脱している。けれど未知なるものに対して感じるはずの違和感もない。彼の声は、倍音を超えた倍音、言ってみればコアのない倍音ですね。音程ではなく、ひとつの音圧としての声。すべてが中心であり、すべてが中心ではない音楽。音程はないけれど音域という意味での幅はある音。それがウラルアルタイ語族の人間として、原初人間が持っていたどこかに非常に訴えかけてくるんだろうと思います。
 アジア中央部の声の文化、音響文化、つまりモンゴルの「ホーミー」やトゥバの「ホーメイ」、そしてアルタイの「カイ」などに特徴的なのは、音に指向性がないことです。ベルカントだろうがペルシャのタハリールだろうがインドのドゥルパドだろうが、たいていの声の文化には、ここから声を出してここへ伝えるんだという指向性がある。しかしアジア中央部の声を録音しようとマイクを立てると、面白い現象が起きます。口の前にあるマイクと背後にあるマイクのゲージがあまり変わらない。つまり無指向性なんですよ。その人を軸として周りすべてが響いているんです。テクニカルな話ですが、そういうふうに聞こえている音をどう録音して、どう再生すればいいのかわからない。スピーカーがふたつになったときには必然的に指向性と定位が出てきますから。ほかの声楽文化圏にはない、非常に興味深い音の世界です。
 とにかくこれは体験してくださいとしか言いようがないのです。(談)
(ほしかわ・きょうじ 民族音楽プロデューサー

アルタイの吸引力、ボロットの発信力
直川礼緒
 
 ボロットの存在を初めて知ったのは、1991年6月、東シベリアはサハ共和国で開催された、第2回国際口琴大会でのことだった。首都ヤクーツクの口琴博物館。サハ、旧ソ連地域、世界の3室に分かれた展示の、旧ソ連地域の展示の中に、1枚のモノクロ写真があった。それは、この国際大会の準備段階として、1988年に催された全ソ口琴会議のひとコマで、アルタイ民族独特の、狐の前足の毛皮を素材とした帽子を冠った精悍な男が、金属口琴を表裏逆に口にくわえて、通常は右手指で弾くべき振動弁を、自身の舌で弾く、という超絶技巧を披露している図であった。
 アルタイと言えば、西モンゴルのホーミーや、トゥヴァのホーメイといった喉歌(のどうた)の起源伝説で、アルタイ山中で生まれた、とするものをよく見かける。そして、様々なホーミーのテクニックで歌われるモンゴルの「アルタイ讃歌」では、必ずイントロで口琴が鳴らされるのである。その必然性は何なのか? 口琴とアルタイ山にはどんな関係があるのか? アルタイに行ってみたって、その答えが見つかるはずのものでもないが。心惹かれるアルタイという土地の名が、急に気になりはじめた。
 次にボロットの名を見かけたのが、1993年のこと。中央アジアはカザフスタンの首都(当時)アルマトィで毎年開かれる、国際ポピュラー音楽コンテスト「Voice of Asia」の1992年のライブ盤であった。このコンテストでの入賞を切っ掛けとしてボロットの活躍の場は、世界へと広まっていった。
 例えば、ウェザー・リポートのキーボード奏者ジョー・ザヴィヌルのヨーロッパ・ツアーに参加。アルバム『My People』(96)にも、マリのサリフ・ケイタをはじめとする有名ヴォーカリスト達の間に名を連ねているが、2分半の録音は、ボロットの魅力を伝えるのにはあまりにも短すぎた。
 その欲求不満を解消してくれたのが、スイスのレーベルから出た『uch sumer 』というアルバムであった(96)。そこでは、ボロットと、ポップス歌手だったボロットを喉歌の世界に引きずり込んだ張本人であるもう一人のカイチ(カイ唱者)ノホンとが、ソロで、デュエットで、トゥヴァやモンゴルの喉歌とはひと味も二味も違う、哀愁を帯びた倍音の嵐を吹かせまくっていたのであった。
このCDのタイトルであるが、アルタイ語で「三つの嶺」を意味する。これは、「アルタイ人の富士山」(?)すなわちシベリア最高峰ベルーハ(4506メートル)のことで、アルタイ共和国の国章にも描かれている。アルタイ語で「嶺」は、スュメル。シュメール山(須弥山)とよく似ている。こんなこともあって、ロシア人神秘主義者などが飛びつきがちのアルタイではあるが、表象としてはどうあれ、深い部分のいろいろな意味で人を引き付ける、不思議な力を持っていることは間違い無い。
 1998年6月、オーストリアで開催された第3回国際口琴会議に、ボロットとその奥さんが来ている、と知ったときには、びっくりした。同じく参加していた巻上夫妻とともに、偶然にも同じ宿泊所で、口琴に導かれるままに知り合いになってしまったりするところが面白い。
 朝食のあと、食堂にあった輪投げ(日本旅館の卓球台に相当?)で遊んだりと、茶目っ気のある気さくな人柄にもふれられた。そんなボロットのステージは、大会6日目、旧ソ連の口琴奏者たちが出演する日に組まれていた。奏者の多くが、2〜3分程度のものを数曲披露する中、口琴やトプシュール、喉歌カイを駆使しての一人で1曲、20分にも及ぶ演唱には、度胆を抜かれた(この時の演唱は、大会の2枚組ライブCDに納められているので、是非聞いていただきたい)。バックステージに戻ってきたボロットに、何とか「素晴らしかった」とだけでも伝えたかったのだが、彼は完全に倍音ユsハイ状態に陥っており、魂はまだステージ上を彷徨っている様子だった。
古来、英雄叙事詩を幾晩にも渡って演唱するカイチは、抜群の記憶力と同時に、シャマン的な能力をもち、聴衆に、英雄たちの幻影を見せることもできたという。それにはやはり、パワーがいるのだ。
巻上さんは、さっそくセッションでの競演を申し込んだ、とうれしそうに話していた。
このときの縁がはじまりで、3度にわたる来日、キングからのソロアルバム発売と、ボロットを日本に紹介する巻上さんの努力には大いに感謝(私の方は、2000年に初めてアルタイの地を訪れることとなった)。
 以下に、ボロットの作品から、「パズィリク」という曲の歌詞を掲げておく(ボロットの歌う詩の内容については、これまであまり紹介されてこなかったと思う)。パズィリクとは、アルタイ共和国内の古墳(紀元前5世紀)の名で、入れ墨をしたミイラ、馬車、金箔で覆われた木彫など、高度な文化が存在したことを示す遺品が多く出土している。1992年作、1994年にノヴォシビルスクでリリースされたLP『白きブルハン』に収録されているこの歌詞は、今回の公演でも、その一部が披露されるはずである。
(ただがわ・れお 日本口琴協会代表)


おお、我がアルタイ、
我がアルタイよ。
おまえはいくつの歳月を
重ねてきたのか。
いくつの不幸と、
いくつの苦難を体験してきたのか。
遥か昔、人々がおまえを誇りとし、
お前を詩に讃えた時代があった。
偉大なる(ニコライ・)レーリヒ、
その手のひらで
お前を黄金に輝かせた、
画家(チョロス・)グルキン。
そして私は、
お前が私を幸福な星のもとに
育て上げてくれたことを
誇りに思う。
そして私は、
常にお前に忠実であろう、
我がアルタイよ!

石の塚に囲まれ、
古 のアルタイが夢をみている。
塚を頭の下に敷き、
汝の英雄たちが眠っている。

真珠で飾られた馬勒を輝かせながら
駿馬が汝を待つ。
固い槍をとり、
アルタイの地を乗りまわせ!

長く暗い夜毎に
偉大な叙事詩は作られる。
大地を振るわせるカイの歌で
アルタイの揺り籠は揺れる。

偉大なるアルタイの英雄たちは、
忘れ去られることはない。
若い世代のために
彼らの叙事詩が残されてゆく。

その声と歌は宇宙を震撼させる。
巻上公一


 ボロット・バイルシェフに会ったのは、オーストリアのモルンという小さな村で開かれた世界口琴会議の会場だった。口琴は手のひらにのる小さな楽器、弁を弾くと口の中に共鳴してびょ〜んと鳴る。日本ならアイヌのムックリが有名だ。そんな楽器の国際会議があるとは、なんて素敵なんだろうと、招待もされないのに妻とふたりでウィーンから4時間かけてチロルの山中にやってきた。ボロットとは到着まもなく出会った。奥さんのナージャさんともども気さくで、宿舎が同じだったことも手伝い、すぐにわれわれ夫婦と仲よくなった。こちらは片言のロシア語で喋り、アルタイ語のいくつかの言葉を教えてもらった。 その時はまだ、アルタイのこともボロットのことも、本当に何も知らなかった。
 コンサートのオープニングは、さまざまな国からの招待者が、ショーケースのように口琴を演奏した。アメリカのデイヴィッド・ホルトの巧みなエンターテイメント、マイク・シーガーの歌。ぼくの口琴の師匠であるバシコルトスタンのロベルト・ザグレッジーノフの発明口琴。スイスのアントン・ブリューヒンの電気口琴やベトナムのトラン・カンハイの特製真鍮口琴の高速演奏、サハ共和国のスタープレイヤーたちの口琴名人芸など、見どころがたくさんある豪華なものだった。
 そんな中で異彩を放ち、また人々の注目を一気に集めたのが、ボロット・バイルシェフの地鳴りのような低音の歌唱だった。トプシュールという2弦の撥弦楽器を静かに奏でながら、音程変化を押し殺すように歌うその歌に、超自然的な響きを感じたのはぼくだけではないだろう。それはアルタイの伝統歌唱芸術「カイ」というもので、実際には5日間かけて歌われる英雄叙事詩だということを後になって知った。
 口琴会議4日目の夜、自由に参加できるフリーステージの時、ぼくはボロットに共演を申し込んだ。その夜、アントン・ブリューヒンや、アーロン・シラギと共演し、続いてボロットとともにステージに上がった。ボロットの歌う音からぼくは繊細に音をさぐり、時に大胆に切り崩した。そうしているうちに探していたパズルのかけらが見つかったような瞬間が訪れた。なんという幸福感。ステージを降りるなり、ボロットは顔を紅潮させて、「コンパクトディスク」と何回も叫んだ。ぼくと同じ思いだった。
 それから2年後、ボロットを日本に呼び、コンサートとこのCDの録音を行った。次の年、ぼくは妻とアルタイに招待され、ユーラシア大陸の中央に位置する緑あふれる国の美しい風景と文化に触れた。旅行中、小さな生命の気配が妻にあり、帰国後妊娠を知った。それを縁と感じ、生まれた息子に、アルタイ語で「カイチ」と名付けた。「カイチ」とは英雄叙事詩カイを語る語り部のことで、まさにボロットを指す言葉である。
 それにしてもボロット・バイルシェフは他に類をみない卓越した才能を持った歌手でありソングライターである。それは伝統を越えて未来を照射する。その声と歌は宇宙を震撼させる。
(まきがみ・こういち ヴォーカリスト)

アルタイのこと……撮れなかった風景と懐かしい光景
川内倫子


2002年7月に田口ランディさんに誘われてアルタイに行きました。行く前は何の予備知識もなくて、本当にそんな国があるのかさえおぼろげだった。モンゴルの近くというくらいのイメージだったから、乾いた山が続いているところかな、と思っていました。
ノボシビルスクの飛行場からアルタイに向かう道の途中に、「ここからアルタイ共和国」っていう大きな看板が立っていて、そこで結婚式をやっていた。それがアルタイの第一印象。そのすごく幸せなイメージからはじまった旅でした。写真にも撮ったんですが、車が綺麗に飾り付けられていて、上に2羽のスワンがハート型を作っていて。その写真を何度も見ているから、アルタイとスワンのイメージは幸せに繋がっている。

食べ物がおいしかったのも感動的だった。朝ご飯が特に。ボロットさんと巻上さんが出るフェスティバルのあいだ何日か家を借りて泊まっていたのですが、大家さんのおばちゃんたちが、私たちの家のキッチンまで作りに来てくれた。毎日ちゃんとメニューが変わって、やっぱり人がきちんと作ってくれたご飯はおいしかった。「バーニャ」っていうサウナを大家さんの家に借りに行った時、台所を通ってバーニャに行くんだけど、なんか「お借りします」って感じが無性に懐かしかったですね。大家さんの家まで、道は真っ暗で、その家の娘さんたちが懐中電灯をもって迎えに来てくれた。お風呂から上がると娘さんたちが次の朝ご飯の準備でホットケーキとか作っていて、そういうのもすごくよかった。なんかそういう、なくなってしまった昔の風景みたいなものがとてもたくさん残っていた。実際私はそういう場所で育ったわけじゃないけれど、感覚として、懐中電灯でお風呂を借りに行くとか、朝ご飯をみんなで食べるとか、そういうことをすごく思い出しました。サクランボやマリーナという赤い果物を売っている青空マーケットのおばちゃんも忘れられません。毎日毎日おやつが野菜と果物だったから。きゅうりの浅漬けをたくさん食べた。香辛料のディルで漬けているから塩味はちょうど浅漬けくらいなんだけど、ほのかにディルの味がして、ああ、外国の味って。ディルの香りをかぐと、アルタイを思い出しますね。

風景で心に残っているのは、撮れなかった景色。毎日ものすごい距離を車で移動していたから、「ああ、今撮りたいなあ」とか思っても、ふと気がつくともう別の場所に移っている。コンサートの帰り道の、家までの暮れていく時間とか。森に靄というか霧がたちこめていて、みんなは疲れて寝ていて、私は助手席で風景を見ていて、その森の中のグラデーションが綺麗だった。なかなか見れない色合いで、「あの時、停めてって言えばよかったな」ってちょっとだけ心残りがある。そういう光景に限って覚えていますよね。

明日にはアルタイを離れるという最後の夜のことも忘れられません。ボロットさんが「最後の夜だからゆっくり飲みながら歌いながら帰りましょう」と言って、帰り道の3、4時間、車の中でトップショールを弾きながらずっと歌ってくれた。もう夜で、あたりは真っ暗で、ヘッドライトの明かりだけが風景をうつしだしていて。私は一番前に座っていたから、真っ暗闇の中から道や森の木々がすーっと現れては消えて、そしてボロットさんの歌がサラウンドでずっと聞こえている。その時、「ああ、撮りたいなあ」と思った。まるで映画のようだった。あんなに贅沢な気持ちになったことはない。ものすごく不思議な時間だった。だからあの感覚を絶対に忘れないでいようと思います。実際にその映像を撮るわけじゃなくて、あの時に感じた感覚ってすごく自分の財産になると思う。最後の晩でちょっとセンチメンタルだったこともあるんだろうけれど、町に着いてからもみんななんとなく別れがたくて、アルジャンとボロットさんが子どもみたいに射的ごっことかをはじめて。夏休みの最後の夜って感じだった……。

今回の上映のために写真をプリントして、構成して、それでやっと旅が終わる感じです。ここまでやって自分の中ではじめて「ああ、こういうものを見ていたんだな」って、なんとなく薄ぼんやりと輪郭が見えてくる。あまりきちっと固めるのではなく、ふわーっと輪郭が光って見えるくらいの印象がいい。その写真を人に見てもらって、その人の感じ方を通して何かを共有する。憶えていないくらい小さい頃のアルバムを何度も見ているうちに、自分がそこにいたような気分になることがあるけれど、その感じかもしれません。今回は大きなスクリーンで上映して、自分がどんな感じ方ができるのか。アルタイの光の感じがうまく出るといいんですが。(談)
(かわうち・りんこ 写真家)

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ボロットさんの歌を「体験」せずに死んでいくのはもったいない。

AKIRA

 アルタイ共和国からくるボロットさんの喉声(ホーメイ)は現代の奇跡だ。超低音が大地を揺らし、超高音の精霊たちが空に舞い踊る。それらがひとつの喉から同時に発声されるだけじゃなく、映像さえも喚起させてしまう。
 黄金の山々(アルタイ)、緑に萌えるシベリアの高原、天を映す湖、真綿のように散らばる羊、いったこともない風景が魔法のごとく浮かびあがってくる。
 ホーメイの特殊な振動が聴く者の頭蓋を振動させるのか、ボロットさんのシャーマニックな力がわれわれのなかに眠る精霊を呼び覚ますのかはわからない。アルタイ語などまったくわからないのに、涙が止まらなくなるのだ。終わったあとには、放心状態で浄化された自分がいる。
 ボロットさんの歌は音楽そのものを越えて、一種の神秘体験に近い。
 去年は東京と沖縄公演に同行したが、何度でも聴きたくなる。CDではものたりない。遊牧民のように同じ空間に集い、いっしょに共振しなければあの神秘体験はできないのだ。
 しかも今回はマイクをとおさず、生で聴ける。トッパンホールはクラシックのために設計された最高の音響効果をもつ。
 奇跡的に同じ時代に生まれたのに、ボロットさんの歌を「体験」せずに死んでいくのはもったいない。彼の歌を聴けば、オレの発言が大げさじゃないことに気づくだろう。
 まだチケットがあることを確認したので、急いで申し込もう。オレのイベントにこれなくても、ボロットさんの公演には絶対いってくれー!

(すぎやまあきら 画家、書道家、彫刻家、写真家、小説家、ミュージシャン)

http://www.akiramania.com

束の間の宇宙に引きずり込んでしまう魔法

素樹文生 

  アルタイというのは、モンゴルの西、カザフスタンの東、中国の上、ロシア
のいちばん下ですね。
「カイ」というのは、その民族の独特の喉声でうたう伝承のようなもので、
お経のようでもあり、民謡でもあり、琵琶法師の歌う平家物語をドラマチック
にしたようなものでもあり、それでいて「声の芸術」でもあり、低い声
なんだか、高い声なんだかわからない、超周波の音波の多重構造
(でもうたうのは一人)で、聞く人を束の間の宇宙に引きずり込んでしまう魔法
でもありました。これは、面白い。(ボロットさんというのは、
ジャッキー・チェンのように求心力の強い顔の人でした)
 アルタイは草原の国。海を知らない人たちの国。
「カイ」を聞きながら、ここの人たちの価値観の変化は、何千年ものあいだ
「草原のむこう」からやってきたものが、「草原の向こう」へ
去っていったことによって、もたらされてきたんだろうな、と思った。そんな歌
でした。
 2時間のトリップを、たっぷりお約束いたします。

素樹文生(もとぎふみお)作家
http://motogi.ameblo.jp/

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