ヒカシューの20年

          1977 9月、巻上が主宰する劇団ユリシーズの公演「コレクティング・ネット」(明大前キドアイラックホール)で山下康に音楽を依頼。 メロトロンを収集していた井上誠を巻上が山下に紹介。ヒカシューという名前のユニットが誕生。このユニットの方向性はその後 のイノヤマ・ランドで継承される。 1978 7月15日、16日、ユリシーズの公演「幼虫の危機」(江古田マーキー)。巻上、海琳、戸辺、山下、井上が参加。これが以後のヒ カシューの母体となる。この時はじめてリズムボックスを使用した。8月29日、バンド、ヒカシューとして、吉祥寺の羅宇屋で 初のライブ。10月からデモ・テープ作り。12月デモ・テープを深夜、ニッポン放送のDJをしていた近田春夫に渡す。 1979 10月21日、レコードデビュー。シングル「20世紀の終わりに」をリリース。プロデューサーは近田春夫。当時洋楽レーベル だった東芝EMIイーストワールド・レコードの専属第一号アーティストとなる。テクノポップとニューウェーヴが未分化のまま ブームとなっていた中で、演劇的な独特のスタイルで異彩を放っていた。メンバーは巻上公一(b,vo)、海琳正道(現・三田 超人 g,vo)、井上誠(syn,mellotoron)、山下康(syn,rhythm-machine)、戸辺哲(sax,vo)。 1980 2月5日、1stアルバム『ヒカシュー』をリリース。4月からレコーディングに入り、7月には早くも2nd『夏』を発売。プ ロデューサーは1stに引続き近田春夫だが、「アルタネイティヴ・サン」のみ加藤和彦。8月、渋谷公会堂でベンチャーズと共 演、そのときの模様がライブ盤となってリリースされた。 1981 3rdアルバム『うわさの人類』リリース。泉水敏郎(ds)が参加。太田螢一が描くアルバム・ジャケット同様、人間のダーク サイドに奥深く迫った世界が展開される。このアルバムによって、ヒカシューの独自性がより明確に打ち出される。NHK教育テレ ビ「若い広場」で約1時間に渡りヒカシューのドキュメンタリー番組を放映。全国のお茶の間に話題を巻き起こす。戸辺哲脱退。 1982 巻上公一ソロ・アルバム『民族の祭典』(東芝EMI)をリリース。ヒカシューのメンバーが全面的に協力しているほか、ゲルニ カや立花ハジメなど多彩なゲストが参加。デビッド・バーンも録音に参加したヨーガン・レールのファッション・ショーの音楽を 担当。その他にも、映画『俗物図鑑』の出演と音楽、南伸坊、平岡正明、上杉清文などが参加していたHand Joeとのパフォーマン スや、ダンスのベアトラン・レゾンとのジョイント・ライヴ「仏の出口」を通じ、ジャンルにとらわれない活動を展開。年末に ベーシストとして坂出雅海が参加し、以後巻上はヴォーカルに専念。 1983 シングル「私はバカになりたい」をリリース。蛭子能収によるジャケットが強烈な印象を植え付けたアルバム未収録曲。井上誠ソ ロ・アルバム『ゴジラ伝説』(キング・レコード)発売。コント赤信号や、イベント「浪曲二十世紀」で京山幸枝若(浪曲師)と も共演、活動の場はさらに拡大していく。山下康脱退。 1984 自主レーベル「スピノザ」を設立し、ジャンボ・シングル「日本の笑顔」をリリース。井上を中心にした「ゴジラ伝説ライブ」、 谷川晃一プロデュースによる、3面マルチスクリーンの映像とヒカシューとのジョイント「全方位極楽」の全国ツアー、巻上が組 織した劇団「ワンダーランド」の公演、ヨーガン・レール・ファッション・ショーのための音楽をベースにした『私の愉しみ』及 び、巻上がプロデュースし、平岡正明、栗本慎一郎、南伸坊らが参加したデラックス・アルバム『高級芸術宣言』(アポロン)の 発売など、活動が一気に開花した。野本和浩(sax)、谷口勝(ds)参加。年末には3年半ぶりのオリジナル・アルバム『水 に流して』をリリース。 1985 小林紀子バレエ団「そばでよければ」公演の音楽を担当。蕎麦が描かれた強烈なピクチャー・レコード『そばでよければ』を発 売。ローザルクセンブルグ、パパイヤ・パラノイヤらが参加したコンピレーション・アルバム『都に雨の降る如く氈A』(東芝 EMI)を巻上がプロデュース。井上が和田慎二原作の劇画『ピグマリオ』(キングレコード)のイメージ・アルバムを担当。ヒ カシューのメンバー全員が作曲と演奏で参加する。 1986 三田、谷口、坂出によるインプロヴィゼーション・バンド、ライプニッツを結成しエリオット・シャープと共演。ヒカシューは スピノザを解散し、新たにパズリン・オフィスを発足。この間エッグマンで二カ月に一度ほどのライブ活動で、新しいメンバーに よる下地作り。 1987 巻上、ニコラス・ディクソン、小竹信節らとともに、バレエ・パフォーマンス集団チュチュランド・アカデミーを設立。第一回公 演「なにもかも踊れ」の音楽をヒカシューが担当。カセットで自主発売する。『ヒカシュー』と『夏』がカップリングで初CD化 (限定発売)。この間、エッグマンで毎月ライブ。 1988 アルバム『人間の顔』を小林克也の紅白レーベルよりリリース。4年の準備期間をかけて製作された力作で、ライブでのおなじみ の代表曲「ゾウアザラシ」やハラルト・シュテンプケの『鼻行類』にインスパイアされた「ハイアイアイ島」などを収録。坂出渡 独、日本とドイツを往来しながら活動を続ける。この間ときどき加藤英樹にベースを頼んだりしながら、ほぼ毎月ライブを続け る。 1989 「人間の顔」セッションがスタート。坂田明、ジョン・ゾーン、遠藤賢司、梅津和時、ケラ、カール・ストーンらと共演。10月 24日、谷口勝が急逝し、メンバーに大打撃を与える。しかし、ヒカシューに関わる多くのミュージシャンたちに支えられ、バン ド結成10周年記念ライブ「丁重なおもてなし」を成功させる。ライブ・アルバム『ヒカシューLIVE』を10周年記念盤とし て自主製作でリリース。 1990 3月に新ドラマー、つの犬が参加。それとともに、「ヒカシュー新人宣言」をし、活動を再開する。2年ぶりのオリジナル・アル バム『丁重なおもてなし』をリリース。巻上、ソロ・ライブ「超歌唱セッション」をスタート。坂出、ドイツ・マンハイム・ナ ショナルシアターのバレエ「恐るべき子供たち」の音楽担当。この一年間、ヒカシューに大友良英が参加。 1991 5月にベルリンのハンザストンスタジオでアルバム『はなうたはじめ』のレコーディング。天才アラーキーのヌード・ジャケット が各方面で話題を呼ぶ。井上誠脱退。ドイツ出身のキーボード奏者トルステン・ラッシュが参加。『ヒカシューLIVE』がジャ ケットも新たに再発される。巻上、ベルリンでデヴィッド・モスと共演。 1992 1月、巻上、ソロ・アルバム『殺しのブルース』(東芝EMI)をジョン・ゾーンのプロデュースのもとNYで超豪華メンバーと レコーディングし、ニッティング・ファクトリーで「超歌唱セッション」を行う。6月17日発売。同時に巻上1stソロ『民族 の祭典』(東芝EMI)、ヒカシュー3rd『うわさの人類』(東芝EMI)も初CD化される。ライヴも頻繁に行い、勢いにの るヒカシューは、5月に再びベルリンのハンザトンスタジオで新作『あっちの目こっちの目』をレコーディング。ゲストにはロー レン・ニュートン(vo)、ハンス・ユーゲン・ノアク(vn)が参加。ドイツでもライブを行い大絶賛を浴びて帰国。9月より 「あっちの目ツアー」がスタート。 1993 1月19日青山円形劇場にてヴィジュアル・サーカス『あっちの目こっちの目』を開催。アミーガによる映像とヒカシューのサウ ンドがステージ上で競演。6月8日・9日草月ホール他、全国4ヶ所にてヴィジュアル・サーカス開催。6月23日ヒカシューと 梅津和時でブレーメンの「日本理解」に出演。10月25日徳間ジャパンよりアルバム『あっちの目こっちの目』リリース。同時 にCD発売記念ツアー「London Eye & Paris Eye」を全国8ヶ所で展開。次いで11月25日には、音楽を手がけたオリジナ ル・ビデオ・アニメーション「超時空世紀オーガス02」のCD『超時空世紀オーガス02 サウンドトラック』が徳間ジャパン より発売。12月より劇伴も手がけた『超時空世紀オーガス02』のビデオ、LDが6巻シリーズで発売開始。(4巻まで担当する が5巻から契約トラブルで担当せず) 1994 6月25日法政大学大ホールにて「ヒカシューのプヨプヨオペラ2」を開催。ゲストに内橋和久(g)、坂本弘道(vc)、澤民 樹(vn)、高良久美子(perc)、関島岳郎(tub)+ダンスで珍しいキノコ舞踊団が参加。巻上、デレク・ベイリーが主 宰するロンドンのカンパニーウィークに招聘される。8月、巻上、坂出、青山マンダラ「現代電気音楽事情voL.1」に出演。 12月8日クラブチッタ川崎でライブ。 1995 2月11日より渋谷シードホールにて、巻上演出によるクレズマー音楽劇「ドイナ哀歌」。出演はベツニ・ナンモ・クレズマー。 5月7日、巻上、野本、水戸芸術館 相談大学で即興パフォーマンス。巻上、6月2日から12日 P3 「マインド・キング」 演出、出演。7月巻上ソロ・ヴォイス・アルバムをNYでレコーディング。10月16日〜18日巻上&デヴィッド・モスによる コンサート「声帯実験」(渋谷ラ・ママ)。11月21日 巻上ソロ・ヴォイス・アルバム「KUCHINOHA」 (TZADIK) 米国で発売。12月10日、 ラ・ママでヒカシュー4ヶ月連続ライブスタート。サポートで新井田耕三 (ds)、吉森信(key)が参加。 1996 1月13日、ラ・ママ4ヶ月連続ライブ2回目。2月10日、ラ・ママ4ヶ月連続ライヴ3回目。3月9日、ラ・ママ4ヶ月連続 ライヴ4回目。6月1日ラ・ママにてライブ。6月15日大垣国際情報アカデミーにて巻上、坂出、日本、フランス、オーストラ リアを結ぶインタネーット・パフォーマンスに参加。 8月28日若手テクノ・アーティストが手がけたヒカシューのリミックス・アルバム『レトロアクティブ』(東芝EMI)がリ リース。 9月14日より完全リメイク・アルバム 『かわってる』 の録音に入る。 10月22日録音終了。 11月7日、デビュー前の貴重音源を収録した 『1978』 CD extraでリリース。 12月CD『かわってる』発売。 1997 1月29日 日清パワーステーション。 3月17日 神戸チキンジョージ 18日 大阪ウォーホール 19日 名古屋ELL  23日 渋谷ラママ 4月はスイスのバンド アフロント・ペルデューの日本ツアーに巻上参加。 5月11日 渋谷ラママ 8月2日 渋谷ラママ  10月は巻上、アフロント・ペルデューとスイスをツアー。 デヴィッド・モスの録音に参加。 11月3日 渋谷ラママ 1998 1月 巻上の作、演出、出演による口琴音楽劇「ホムス」上演。 渋谷ラママで連続ライブ 9月6日、10月9日、11月28日、12月19日 6月 巻上 日本トゥバ ホーメイ協会設立。 7月 巻上 テレビ朝日「新題名のない音楽会」に出演。 10月 巻上とアントンのデュオアルバム「ERECTRIC EEL」発売。
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