Makibri diary2001
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01.11.1 私の歌は私の歌ではない
ボロット・バイルシェフが来日
私はアルタイを運んできた

01.10.28 口琴は甘くみられている
ワークショップは満員
映画の入りはしょぼしょぼ
まったくふざけたご時世だ


01.10.27 ロシアでは歴史は泳いでしまう ソローキン
東大で行われた日露作家会議へ
ソローキンは、
21世紀はマクロストラクチャーの時代と言う
ペレーヴィンは、
歴史はシャベルですくえるように渦を巻いていると言う
〜が死んだ というのは20世紀の流行語だったと
タチアナが言う



01.10.19 玉ひでのお昼
元祖親子丼
江戸の味付け
香る卵を堪能
べったら市の日

01.10.16 ぼくは頭をびょんびょんした
5分程の短編クリップを作った
声ではなく口琴で

01.10.12 JASRAC評議員
星野哲郎氏が会長になったので
次点だったぼくは繰り上げ当選したが
いまだに古賀問題を引きずり続けている
この会議に出席すると
作家たちの会議とは思えないほど
硬直した知性にかけるもので
ぼくは声が出せずにいる

01.10.8 ユーゴの楽団
ボリス・コバチの演劇的ステージ
バルカン音楽の躍動が好きな人には
ボリスの知的なステージは奇妙だっただろう
それがなんともいい

01.10.6 ゲーテ座でトリオ
横浜ジャズプロムナードに出演
今年はゲーテ座のこじんまりした会場で
佐藤正治、秋元カヲルを呼びトリオの即興

テオ・ブレックマンを再び観る
以前よりアグレッシブだったのは
9月11日のせいなのだろうか


01.10.4 猿女の録音
兵庫県相田の山奥のスタジオ
美内みすず作の舞踊のための声
猿田彦になってみる

01.10.1 ハバロフスクの山火事
ダリアビア航空が欠航になり
トゥバ人たちは、新潟に足止め
煙で視界がないとのこと
火がいつ消えるのか
いつ帰れるのかの心配

01.9.29 ホーメイ・クラシック
トゥバと同じような雰囲気でコンサートを
してもらうことを思いつく
観客は一時トゥバ人の役割を演じる


01.9.27 トゥバ人と田口ランディ
田口さんに頼んでトゥバ人5人を
泊めていただくことになった
リビングではじまったホーメイの響き
空気が震える


01.9.24 ホーメイ自慢
第一回ホーメイ・フェスティバルinJapan
全国から集まったホーメイ喉自慢
これを審査することのむずかしさ
そしてその日のコンサート
トゥバのホーメイは本当に草の香りがし
モンゴルのホーミーにはそれがなかった
たまたまなのか
すべてなのか



01.9.22 永六輔
永六輔さんのTBS土曜ワイドに出演
あっという間に過ぎてしまい
情報が混乱してしまう
永さんがトゥバを中央アジアと間違えていたが
直す間もなかった
誤解の元になっている
アジアの中央部というへんな言い方を変更する必要がある

01.9.18 草笛のような声
見知らぬ人からの電話
草笛のような声を出す人がいるという
ホーメイ・コンテストの募集をしているせいで
面白い情報が集まってくるが
おおむね当てにならない


01.9.16 サハの喉
トルンピ先行上映会+こまっちゃクレズマwith 巻上公一
サハから来た飛び入りのアルビナ、ワーリャ、サーシャ
彼らは喉をコクンと鳴らしたり
声にフランジャーをかけたりすることが簡単にできる
シベリアの空気が映画館に運ばれてきた

01.9.17 その殺害者たちは卑怯者ではなかった
スーザン・ソンタグが9月15日FAZに発表したものが
梅津ニュースで送られてきた
アメリカにはこんなふうにまともな人がたくさんいるはずだ
「その殺害者たちは卑怯者ではなかった」というタイトルだった
メディアは、FBIと連邦政府の愚かさをキャンペーンしているようなものだ
あれではアメリカの民主主義を疑いたくもなる
全員一致で報復をよしとするなんて。
ニューヨークの真の街の声が聞きたい



01.9.11 アメリカの象徴を襲ったテロリズム
民間機が世界貿易センタービルに激突
ビルが崩れる瞬間を世界中がテレビで見届けた
何かひとつの時代の終りのように感じられた

01.9.7 部屋の大きさとパフォーマンス
部屋に合わないほど大きくてはいけない
部屋におさまるほど小さくてはいけない

01.9.4 安東ウメ子さんを聴きにお台場へ
オキのプロデュースは
現代のニューエイジよりのもの
安東さんはそのアレンジの中で
ウポポを歌う
楽しみにしていたウメ子さんのムックリ
聴けたのはたったの5秒
アイヌの音楽はとても好きだけど
ぼくの好きな部分は薄まってしまう


01.8.25 フィル・ダッドソンの倍音
5メートルもある自作弦楽器を
馬の尻尾で擦って倍音を紡ぐ
喉をあけ鼻に声を共鳴させて
カッパのラブソングを歌う
石を水に湿らせ
コツコツと倍音を指で変化させる
ニュージーランドから来た音楽家


01.8.13 白州口琴散歩
1時間ほど歩いて武川の上流へ
歩きながら口琴をするピクニック
川に足を浸していると
水の流れる音がドローンになって
からだは振動の中に包まれる



01.8.11 マルセ太郎の声を聞く
白州の林の中で生前のマルセ太郎の話芸
「スクリーンのない映画館」をスクリーンで見る
生き生きとした声にもういないことを忘れる

01.8.8 口琴をはじめて作る
口琴製作ワークショップのために
講師の目次氏宅へ
直川礼緒と一緒に
はじめて口琴を自作してみる
ちいさな自分の楽器を作る快感



01.7.22 落書永遠
真鍋太郎グラフィティー展 原宿ラフォーレ

真鍋太郎が5歳の時に描いた
いたずら書きの写真があった
「落書永遠」とコピーにある
たしかに
その落書は永遠に写真に留まっている







01.7.19 ロシアの音楽プロデューサーの考える時間
新横浜でニコライ・ドミートリエフの話を聞く
ニコライのやっているロングアームスというレーベルは
サインホやオヴュールの風というトゥバのCD
ポクロフスキーアンサンブルや
D・モスとS・クリョーヒンやヴェルシキダコレシキ
声に関連する注目すべき作品をたくさんだしている
彼の捉えている時間は大きかった
さすがロシア人という感じだった
ガイヴォロンスキーとペトローヴァのデュオも最高
モスクワに続き飛び入りさせてもらった

01.7.18 サハの黒シャーマンに清められる
白金台にサハのシャーマン儀礼を見に行った。
白シャーマンの詠唱に心地よくなり
黒シャーマンの叫びにおののいた時
そこの人と指名をシャーマンから受け
シャーマンの前に
息を全身に吹きかけると
ぼくのからだに風が渦巻いた

01.7.15 小田原のういろう
ういろうは昔からの薬
でもそう簡単には売ってくれない
原料にほんのわずかはいっている
麝香が希少動物だからだ

01.7.13 飛行機そしてオペラ
12日深夜1時30分の便でハバロフスクへ
13日の早朝に到着後、午後2時の便で新潟へ
猛暑の日本に午後2時30分に着く
微妙な時差と日本の猛暑にくらくらになりながら
渋谷東急オーチャードホールへ
ヤマトタケルというオペラを観る
なかにし礼 脚本 三枝成彰 作曲
まるでTVのミュージックフェアのような作品
古事記のストーリーをなぞる展開は
興味がもてない

01.7.12 トゥバ語の辞書を買う
きのう書店で買ったトゥバ語の辞書は
AからBまでしかなかった
2001年6月刊行だから
最後のスペルまで刊行が終わるのは
いつになるだろうか

01.7.11 クラスノヤルスクへ
早朝の便で
クィズィルからクラスノヤルスクへ

去年気に入ったクヴァスの店へ
お姉さんは違う人だった
おそるおそる飲むと
記憶の中の味はもっと醸造されていた
あのお姉さんの味はなかった

妻に熱がある





01.7.10 チャガタイ湖のほとりでバラン
ホーメイセンターに行くと
ゾーヤさんは昨晩から羊を用意して待っていた
昨日は帰りが遅くてゾーヤさんの家にいけなかった
「羊が待ちくたびれてるわよ」という
そんな・・・
これから食べられるのを待っている?
ホーメイセンターからチャガタイ湖へ
羊とともに向かった

オトクンの妻レナの実家はチャガタイ湖のそばにある
今年ふたたびアーチェリーのロシアチャンピオンになったレナ
だけど十分な資金を国から援助されない
サルガルくんという1歳の息子は元気そう



01.7.9 美しいサヤン山脈
タクシーのワゴンをチャーターして
アバカン方向へ片道3時間の移動
美しいサヤン山脈を背に
アンサンブル クルガン-アバイの撮影



01.7.8 フェスティバルは続く
朝から羊肉をほおばって
会場にいくとまだリハをやっていた
しばらく小川で遊んで
夕方から表彰式
アンドレイ・モングーシュの生徒たちが
グランプリ
オトクンとぼくと尾引で
アジアビッグバンドなる即席トリオ
まだまだ続くフェスティバル
心残りだけどクィズィルに帰る


01.7.7 チベット仏教寺院再建フェスティバル
トゥバの西チャダーンという町に大きな僧院があった
ソビエト時代に取り壊されてしまい
いま新たに再建しようとしている
昨年からはじまったフェスティバルだ
クィズィルから200キロ車で飛ばして
馬のレースに間に合った
昼を取ってトゥバの相撲フレッシュ
コンサートは8時すぎにはじまった
なんと3分の1はロックバンドだった
ぼくのソロは2番目
エロチックな女性ロックバンドの次だ
ほかに弾き語りやもちろんホーメイや
演目はさまざま
なんと深夜3時まで続いた

01.7.6 アバカン経由でクィズィルへ
トゥバ航空の38人乗り
アルタイで増えた荷物の超過料金240ルーブル
飛行機はいったんハカス共和国の首都へ
アバカンで一旦降ろされる
ポテトピロシキ、ゆでたまごを買って
再び荷物検査
こちらのたまご黄身が淡い色をしている
鳥もそうだけどやけにうまい
クィズィルに夕方着いて
シュールー・オパールさん宅へ


01.7.5 日本食はSF風
ノボシビルスクの日本食レストランへ
名前は「太陽酒場」
ドアを開けると不思議な照明に照らされた
門番風の男とカウンターの中の着物のロシア人
安いSF映画風
日本人はみあたらない
一番安いカツ丼と親子丼を注文
味は悪くないが
親子丼はチキンかつ丼だった

01.7.4 ビースクからノボシビルスクへ
国境近くのレストランで
ノホンとボロットが席を作ってくれた
ビースクから夜行でノボシビルスクへ

01.7.3 アルタイの一日は長い
10時に市長と朝食
朝からウォッカで乾杯だ
公園の方に各地区のパビリオンが建てられている
そこでも各地区の音楽が演奏されていた
コシュアガチの人に招かれて羊のスープ
午後8時から大イベントがはじまる
伝統音楽、舞踊、バレエ、武術、スポーツ、ロシア音楽
そしてアメリカインディアンやモンゴル、日本など
各ゲストのパフォーマンス
ときおり激しい雨が降る中
朝5時まで続けられた
トリはボロット・バイルシェフだった
その声の響きは唸りのようだった


01.7.2 アルタイ共和国10周年祭
朝からものものしいセレモニーやコンサート
こどもの口琴アンサンブルがかわいらしい
昼は政府食堂でフルコース
午後から夜は政府前広場で
次々に演目が続くが、雨
なかなか小降りにならない
5時頃
日が昇る国からやってきた
ボロット・バイルシェフの友人
巻上公一と紹介され
大雨の中 異様な盛り上がりになる
夕食は各来賓大統領や市長に混ざって
古いソビエト映画の中に入り込んだような気分を味わう

01.7.1 カトゥーニをラフティング
アルタイを流れる川カトゥーニ
救命胴衣とヘルメットをして
ゴムボートで川を下る
一分もしないうちに激流に転覆しかけ
全身はずぶぬれ
水深は最大35メートルと聞いて震えた
次の激しい波の時
インストラクターが落ち足に怪我をした
その時ぼくも落ちかけていた
どこまでも美しい山の眺め
雪解けの白い水が幻想的だ
約一時間のコースに最高の気分


01.6.30 ねぎはアルタイ周辺が原種らしい
市場や路上でねぎを売っている
羊肉に生の丸のままのネギやタマネギ
にんにくをかじるのがこちらの食べ方だ
もともとネギ好きのぼくは
むしゃむしゃと食べた
少し辛くて甘くてとてもおいしい

01.6.29 アルタイ伝統の結婚式
すっかり時間に遅れて見れなかったものの
想像の中でアルタイの結婚式がはじまった
この土地の衣裳はほんとうに素敵だ
紀元前の馬車がアルタイで発見されているが
古代のロマンを思い浮かべるには最適な服だ
よくアニメ作家たちが描く絵に出てきそうだ
広場のカフェでアイスクリームを食べていると
雨が降ってきた

01.6.28 アヤ湖でボート漕ぐロシア人
アルタイの人口は約20万人
そのうち30パーセントがアルタイ人だ
ゴルノアルタイスクから40分ほどの小さな湖
アヤ湖で遊んでいたのはほとんどロシア人だった
英雄叙事詩カイの歌い手の大御所シュマロフ・ノホン氏
彼の車に乗ってアルタイ固有種の植物園へ
集まっていたのは博物館で働く学者の人たちだった
ここでたくさんの歌を聞き、また歌った
どういう経緯からだったか
「しあわせなら手をたたこう」を歌ったら
ボロットがとても気に入ったようだった

01.6.27 アルタイテレビに出演
セルゲイさんは言った
「オー元気ですかー」
彼は日本語とアルタイ語の比較研究を
学生時代にしたという
カメラが回ってなにかやってくれといわれ
妙ちくりんな和風のヴォイスになってしまった
しかし
アルタイ人は実に親日的だ
顔もひじょうに近い人が多い


01.6.26 ビースクへのスイッチバック
ノボシビルスクの駅は改装されたばかり
大きな時計はモスクワ時間を指している
往来にはピロシキや苺を売るひとびと
入口付近には身長や体重を計るだけの商売
寝台車は4人一部屋10時間でビースクに着く
バルナウルから路線は分岐する
まっすぐいけばカザフスタンやその先にも行ける
朝起きるといつのまにかスイッチバックしていた
シベリアの風景が逆流している


01.6.25 アルタイに向かう
アルタイ
黄金の国
この語感にしびれる
新潟-ハバロフスク-ノボシビルスク
アルタイは日本から近くて遠い国
明日の夜行でビースクへ

01.6.17 唐十郎の妙に張りのある声
「闇の左手」を花園神社で観る
男物のブリーフをはく謎の美女ギッチョ
人間ミラーボールの「鏡像段階」
そして
微笑みを売り物とするニューロマンサー(神経魔術師)は
唐十郎が演じた
高校2年生の頃から観ているが
あの紅いテントによく通るあの声
芸として鍛え抜かれている

01.6.16 ファーマーズ・マーケット
ノルウェイの音楽グループの演奏を台場で観る
ブルガリアの複雑な早い音符が
ボタン・アコーディオンやサックスから流暢に流れ出る
ギター弾きはとぼけた味のユーモアのある歌を唸る
世界中の音楽の断片がほとばしる
これはワールドフュージョンのおもむき
それはバンド名とはうらはらな都会の焦燥
これにもっと大きな歌があったら・・


01.6.14 テルミンの音を声にしてみる
ロシア人テルミン博士が1920年に発明した
手を空中にかざして音程や音量を操作する楽器
その空中に置かれた手の不安定を声にしてみる
うーーううーーーーーーーんーーー


01.6.8 歌とは語るもの
ブロードウェイの商業的成功の賞、トニー賞。
今年はメル・ブルックスの「プロデューサーズ」が独占した。
メル・ブルックスといえば、ふざけたパロディー映画でお馴染だが
作詞作曲も手がけている。
授賞式で、メルは友だちの「歌とは語るもの」という言葉に勇気づけられたという。

01.5.31 伝承されるもの、されないもの
文京シビックホール トーク de ナイト
田口ランディ・聴くことの時代Vol.2
「語り継ぎたい叡知」

アイヌ・シャーマンのアシリ・レラさんがゲスト
知りすぎた仲ゆえ、1800人の会場ゆえ、言葉に無理がでる
観客はやはり300人くらいがちょうどいい

第二部は、
カムイユーカラの一部を普通の声で歌う
おそらく昔のアイヌの声は伝承されていない
それは失われている
だから新しく発見しなおさなければならない
叡知もまた同じ
やすやすと伝承されてきたのではない
そのつど発見されてきたのだ



01.5.24 ヴォイスを聞く力
あるページにこんなことが書かれていた。
「ヴォイス・パフォーマーは、何故、言葉を排除するのだろうか。」
おそらくそれは思い込み。
言葉はそう簡単に排除できない。
ちょっとした想像力の不足かな。
どんなに言語以前をさぐり、
言語そのものを抽象化、カリカチャーしても
聞き手は声から言語を抽出する。
少なくともぼくはそれを利用する。



01.5.20 その声は、その魂の音色なり
「知ってるつもり」三波春夫を観る。
その中で「デロレン祭文」を歌っていた。
日本の芸能のルーツを追った「放浪芸の天地」というアルバムに入ってたっけ。
あのアルバムは素晴らしい。

01.5.11 目線の重要性
目線によって連動するからだ
小さな意識付けでうごく筋肉の微細
声も確実に変化する

01.5.9 山海塾の美
かがみの隠喩の彼方へ-かげみ

蓮の葉が宙に浮く
天児牛大のやわらかい動き
美しく完成された舞踏
その中で
蝉丸 岩下徹、竹内晶の群舞
ほんの小さな動きの違い
それが緊張の糸を解れさせる
音楽はテープ再生される
二胡、二十五絃筝、ピアノ、シンセサイザー
ディジュリドゥの音もあった
どうしてテープなのか
なぜ作曲家がふたりいるのか
いつものことだけど
ながながとした
舞踏のカーテンコールほど素晴らしいものはない




01.5.4 即興の才能
即興のひらめき
うまくいかないひしめき
同じ道ばかり歩く即興
それもこれも
わかっていなくては
愚かにみえる
でも言ってはいけない

01.4.25 アルタイのことわざに
「日本人はどこから来たかを知らない」
というのがあるそうだ。
この言葉をどう解釈したらいいのか。


01.4.22 テクノポップを思い出す
新宿ロフトプラスワンのサエキけんぞうのイベントで
ヒカシューの昔のことを喋った。
思い出すと、プラスティックス、P-Model、YMOなどが
とても遠くに感じる。


01.4.21 声は継続することで磨かれる
ボイスパフォーマンス講座の公開講座
1年以上声を出してきた成果
声帯と即興の感覚は確実に鍛えられた


01.4.3 いまや共産主義は死んだ、私の生活はむなしい
リチャード・フォアマンの新作を観るために
ニューヨークに来た。
白いまくら、新聞、打ち抜かれたコミョニスト
黒板、黒い腐りかけのりんご
フレディとフレッドの会話
ここ9年、この芝居の中毒になっている。
「わたしの演劇にストーリーはない。あるのは状況と衝動だ」

01.3.29 雨の日のいちご狩り
いちご狩りに行った
ハウスの中
大粒の雨が音をたてていた
なんの覚えもないのに
あれから
小さなみえないトゲが
指にずっとささっている


01.3.28 静かな山を見る
桜が咲きはじめたのに
梅が散った幕山に行く
まつりが終わった後の平穏


01.3.22 太陽の塔の内部
ヲダマサノリ 表参道NADiff

太陽のうらがわ太郎のはらわた
と題されたインスタレーション
懐かしいシンセサイザーなどが
ごみ捨て場の様相
ガラクタは呪いのシグナルを明滅させている

たまたまシンセ弾きのふたり
岩埼工、安西史孝と一緒だったので
彼らを案内する

そういえば
中学生の時、太陽の塔の内部で
8ミリを回していたら
学校のグループとはぐれてしまった
そんなことを思い出す



01.2.27 黒板に書かれた謎
メルボルンナショナルギャラリーで
ニュージーランドの画家コリン・マカーンの特集
生徒も先生もいなくなった後に残された黒板
そこに書かれている意味を読む


01.2.26 ペンギンの躊躇
フィリップ島
自然のペンギンが
南極からの風を背に
巣に帰る
ぼんやりと白く現れ
躊躇し行進するよちよち歩き
一羽がつんのめる
じっとしている
ずっとしている

01.2.25 サボテンを演奏する
メルボルン
Empress Hotel 714 Nicholson st Nth Fitzroy
Greg Kingston Big Band
タスマニアに住むグレグさんは年に一度
思いっきりフリーなギターの演奏にこのフェスティバルにやってくる。
グレグさんを囲むようにコブラ風のカードを使ったコンダクトを
オーレン・アンバルチがする。
13人もいる演奏者のひとりはサボテンを演奏していた。
いたぶられるサボテンは悲鳴をあげていた。


01.2.23 Pan Sonic

日焼けして起きる
動物園に行き、たくさんの有袋類に会う

バルセロナをベースにするフィンランド人の二人組
メロディーのないクラフトワーク

01.2.22 シドニー到着そして演奏
風邪をひいてひどい熱だった
飛行機の中でなんとか回復
シドニーに迎えに来てくれた
ジーナにコージービーチに連れ出された
泳いで夜は演奏
ロビー、オーレン、ジョン・ローズに会う

01.2.17 すべてがきれいにまとまっている
Theo Bleckman(vocal)とBen Monder(g)のデュオ
横浜エアジン

深いリバーブとディレイによる装飾、
よくコントロールされた音程のファルセット
実に技巧的なヴォーカル
すべてがきれいにまとまっている
少し商業的な色彩、強いメッセージはない
いろんな声を出すが、それ以上のものがない
ぼくとはずいぶん趣味の違う人だった


01.2.14 描きたいものはいつもあるのか
ソクーロフの「モルク神」試写会に行く。
弱いヒトラーとエヴァを描いた作品だ。
最初のエヴァの裸のはしゃぎは実にいい。
でもヒトラーが登場すると少し陳腐になる。
弱いヒトラー、
そこにはヨーロッパでは特別な意味があるのかもしれない。


01.2.6 モスクワは涙を信じない
このDVDソフトを買ってから何回観ただろう。
こんなに飽きない映画も珍しい。
ここに流れている音楽が本当に素敵。

01.1.26 感動は参加すること
ある自動車メーカーの開発の人たちと会食。
なにを食べたのか、あまり覚えていない。
トゥバのこと、ホーメイのこと、
感動の演出のこと
どこかに連れ去るのではなく
そこで起こることに参加する話
小さなパーソナルな表現の魅力について
話した。


01.1.21 口琴芸人
スティーブというアメリカ人
インド風のリズム主体の口琴を奏でる
耳たぶが重いピアスで垂れ下がり
鼻の中にも穴を開けている
ポール・ペナにスィグットを教わったと言う
ダブルリードの笛を吹く
口琴交流会の打ち上げで会う

01.1.19 名古屋で発振音を聴く
「音楽の実験、アメリカと日本」
出演
和泉希洋志、小杉武久、高橋悠治、刀根康尚、ヤマタカEYヨ
曲目
Molecular Music(1982-85)
クリスチャン・ウルフ ピアニストのために
高橋悠治 Bridges(1967)
小杉武久 キャッチウェイブ68(1968)
ヨシダミノル シンセサイザージャケット(1974)
デヴィット・チュードア:レインフォレスト1(1968)
ラ・モンテ・ヤング コンポジション1960#7

発見されたノイズ
はじめからあるノイズ
懐かしさ、新しさ、勉強
なんのための?
動き、態度、服は大切
満員の会場
期待する期待外れ
いかにもそのまま


01.1.14 南半球にどんな声を持っていこうか
2月21日から3月7日までオセアニアへ行く
でも21日シドニー、28日メルボルンだけど
その間、7日間特にやることがない。
どうしたものか。

01.1.13 天鼓のソロ
北沢タウンホール
ピアノが置かれていた
天鼓はソロの途中
ピアノを弾くように歌った
ピアノの音はもちろんない
声はいつまでも漂っていた



01.1.11 ナレーションの声
テレビを見ていると、
おばあさんは、おばあさんのように演技
村の人はいなかもののように演技している
そんな吹き替えが多い。
ドキュメンタリーでもそうだ。
翻訳はただ意味を伝えるだけの方が
映っている人の感情を覆わない。

01.1.7 キンスキー、我が最愛の敵
ヘルツォークの映画は好きだ。
普通の映画は上昇へ向かうけど、
彼のは、からだの重さを感じさせてくれる。
それも負の方向を向かずに、
とてもたくましい。


01.1.1 狂言の声、義太夫の声
狂言のすーっとした強い一本調子
義太夫の複雑な人物表現

00.12.26 目の小さなうごきだけでからだを操る
三田超人から首がおかしいとの電話の時
眼球のうごきで操体をするように指示した。
驚くほどの効果があった。

00.12.20 今年の年末はやけに静かだ。
20世紀の終りは昨年だった。
21世紀の始まりは来年だ。
今年は00の年。
何もない空白の年。
宙に浮いた妙な年。

00.12.12 テレビから聞こえるたくさんの口琴の音
知っている人だけが
過剰反応する口琴の音


00.12.8 声をからだに通す
からだに声を共鳴させる
そのようにしてこの部屋を震えさせる
部屋も目の前の人も
自分のからだの一部と考える

00.12.5 ホーメイとフーメイ
ぼくはトゥバのホーメイと言う。
リキはフーメイと言う。
どちらもトゥバの発音に合ってはいない。
日本語的にどんなふうに聞こえるかだ。
ただ
フーメイというと上の歯の先を下唇の内側に軽く
ふれる音と勘違いしてしまうと考える。
これはまったく通じない。


00.12.1 国会議員が映画を憂う
深作欣二の映画の試写会で
その低級を指摘するなんて勇気がある
表現の自由というが
論議をしないしらんぷりはいけない

00.11.30 観客論
あたえられるだけのブロイラー
野生に帰って
求める人になる

00.11.27 テルミンと人の声
テルミンのコンサート
人の声が違うように
テルミンにも個性がある
きょうのは
背広やドレスを着たテルミン
浅草のアサヒスクエア
何度行ってもなれない
へんな形のビル


00.11.27 喉の研究って
あまりわかってないことがわかる。

00.11.24 詩吟の会で倍音
朗々たるその声は
人に聞かせるものでなく
精神の修養を目的としたというのは
本当か
楽屋で民謡の人がそう言った
だから
詩吟に拍手は必要なく
お辞儀もしないと

00.11.23 エンターテイメントとパーソナル
パーソナルから出た根源的な喜びと
単に商業的なスマイルと
その違いを感じない者の鈍感さ
与えられることになれたブロイラー的感性を
捨て去ること


00.11.21 花が好きな牛の声
フェルディナンド。
モ〜。

00.11.18 フォアマンと新宿散歩
東京で知的な場所ってどこだろう。
文化の集合地ってどこだろう。
案内できない悲しみ。

00.11.16 リチャード・フォアマンが日本に
リハーサルを観て、感動している。
本当にいい。

00.11.13 近所に声を届ける
近くの布施英利氏の家でお茶。
田口ランディーさん、そして三島に来ていた藤原新也さんとお話。
ホーメイをしてみたり、口琴をしてみたり。

00.11.12 清水寺で歌う
33年ぶりのご開帳。
33種類の観音様の声で歌う。

00.11.8 声は喜ぶ
喉の快楽

00.10.31 声だけを問題にできない
そこに歌がなくては。

00.10.24 声の振動数
声帯の振動数を計る
話していとき
90から260ヘルツ
幅が170というのは、
普通の人の3倍以上であるとのこと


00.10.22 鸚鵡は、声帯ではなく鳴管で鳴く
その鳴声を試す。


00.10.15 アルタイの山で育った。それが歌に出てくる。
ボロットは25才からカイをはじめた。
それまで自分の道を探していたという。
誰もがカイを歌えるわけではない。


00.10.12 声がいいからいい。
そうかい?
声にだまされるなよ。

00.10.9 伝統は脳のはしっこにへばりついたもの
ヨーロッパの声を聴く。
その音に土地の宗教の伝統の何かを聴く。
日本文化と自分の距離を考える。
江戸時代に立ってみる。
そして平安時代との距離を考えてみる。
文化の断絶は断続的に起こっている。
しかしここに住んでいるということの
伝統は脳のはしっこにへばりついている。

00.10.7 きみはきみのつくった建物の住民でしかない
たまには散歩にでかけましょう
世界は生きているのです

00.10.4 北島(ベイタオ)の詩
生活



MXTVのアジア電視台で以前紹介していた。
中国の詩人。これ中国語そのもの。日本語に翻訳してもそのまま。

00.10.2 オームのような即興はいらない。
即興は人とどう話すかと似ている。


00.9.30 音は自由に遊んでしまう。
コントロールできると思うほどに、
音はコントロールされない。
そこらを自由に遊んでる。

00.9.29 すきまにはいりこむ
完璧には壁がある。
スキあらば大好き。


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